ピラミッドには一個2.5トンの石灰岩が230万個つかわれており,210段にわたって積み上げられています。これは東京駅170件分に相当する石材が使用されている。
壁面は化粧石といわれる磨き上げられた石灰岩で覆われていた。
外装用の石は現在崩れてしまっているが,当時のピラミッドの壁面は滑らかだった。
建設作業は石の切り出し,運搬,工事用道路の建設,基礎工事などの準備段階で10万人が3ヶ月交代で10年、さらに石の積み上げ作業に20年以上かかった。
クフ王のピラミッドの中に入ってみよう。
アル・マムーンの開けた入口から通路を進むと、中腰にならないと通れない狭い上昇通路に至る。
約40mある上昇通路を昇りきると、水平通路と大回廊との分岐点がある。
上昇通路の延長である大回廊は高さ8.5m、幅2m、長さ47mという大きさなので、楽に立って歩ける。
古代建築の偉業と賞賛されるこの大回廊がある。(左写真)
大回廊を昇りきると、王の間への侵入者を防ぐための石落としの装置のある控えの間がある。そこを過ぎると、いよいよ王の間だ。
奥行き10.5m、幅5.2m、高さ5.8mと広々としているが、意外にも何の装飾もなく、部屋の奥に蓋のない花崗岩製の石棺が置かれているだけである。
王の間や石棺が余りにも質素なものだ。これから想像するにビラミッドはやはり王の墓ではないのだろう!
ギザの三大ピラミッドⅣ
古代エジプト時代、あのピラミッドのことを「ピラミッド」とは呼んでいなかった。ピラミッドという呼び名は、あくまでもギリシャ以降、2000数百年のことなのである。
それまではピラミッドを「メル」といっていた。
このメルという言葉は、「上に登る」という意味である。
実際には1つ1つのピラミッドに名前がつけられていたのである。
クフ王の大ピラミッドは「日が昇り没する場所」、カフラー王には「偉大なるピラミッド」、これは何か意味があると思いませんか!
吉村作治氏を隊長とする早稲田大学エジプト調査隊は、電磁波探査レーダーを使って、クフ王の大ピラミッド内部の調査を行った。
その結果、我々が歩いている通路や、入っている部屋の他にもたくさんの通路や部屋があることが分かった。
ピラミッドを地震に強い柔構造にするため、内部にある程度の空間を造ったと考えられるが、その未知の部屋にはいったい何が隠されているのであろうか!
ピラミッドの謎は益々深まるばかりである。
アル・マムーンというイスラームのカリフが開けた盗掘坑で、現在、見学者はこの入口から内部に入る。
泥棒が開けた穴を今も使っているのは面白い!
クフ王のピラミッドに入ったアル・マムーンがここに入った時、すでに空の石棺以外何も無かった。苦労したと思うが彼の落胆した顔が想像できる。
泥棒でこれだけ名前が売れて、彼はどう思っていたのか!知りたい気持ちだ。
ピラミッドには初めから何もなかったのだ。
クフ王の墓はいったい何処にあるのか!謎が謎を呼ぶ。
ギザの三大ピラミッドⅢ
ギザの三大ピラミッドは、クフ王のピラミッドから正しく南西方向に分布する、彼の次男カフラギザの三大ピラミッドは、クフ王のピラミッドから正しく南西方向に分布する、彼の次男カフラー王のピラミッドと孫メンカウラー王のピラミッドがある。
古代世界の七不思議の中で、現在唯一残されている建築物である。
人類の建築物の中でももっとも古い部類に属し、これだけ有名でありながら、いまだその目的すらわかっていない、太古の神秘そのものと言えるのがピラミッドだ。
クフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドの中で、もっとも大きいクフ王のピラミッドは高さ137m、底辺は一辺230mのほぼ正方形をなす。各面は正確に東西南北を指し、傾斜は51.5度にもなる。
このクフ王のピラミッドは、1889年にエッフェル塔が完成するまで世界でもっとも高い建築物であったようだ。これは約4,400年もの間、世界最高に君臨していたことになる。
ピラミッドはなぜ造られたのか? この論争はいまだ決着がついていない。
紀元前5世紀の史家ヘロドトスの『歴史』には王墓とあり、以来王の墓であるとする説が一般化した。ところが、三大ピラミッドではミイラは見つかっていない。
ルクソールの王家の谷のように、墓につきものの派手なヒエログリフもなければ壁画もない。
たしかにクフ王のピラミッドには「石棺」があるが、実際にそれが棺だという証拠はない。
古代エジプトでは棺は地下にあるもので、ピラミッドだけ例外というのも考えにくい。
盗掘されていたとしてもミイラは残るだろうし、棺の蓋がないのもおかしい。
だいたい王の間には盗掘者が到達できなかったこともわかっている。といってもクフ王やカフラー王、メンカウラー王の墓も見つかっておらず、王墓説も完全に消えたわけではないようだ。
幼いころ奴隷に鞭に打たせてピラミッドが造られた絵を見たことがあるが、事実は公共事業で失業対策だったようだ。
ピラミッドを造った労働者の街が発見されており、労働者には食事やワインが振る舞われ、労働者は率先してこの事業に取り組んでいたようだ。
ギザの三大ピラミッドⅡ
はじめに
世界の七不思議をご存知ですか!
ビザンチウムのフィロンの書いた、「世界の七つの景観」の中で選ばれた、古代の地中海地方に存在していた7つの巨大建造物を指します。
古代エジプト,バビロニア,ギリシャは、今でも困難と思われる建築技術があったのは驚きです。
先ずは古代世界の七不思議の下記の建築物を紹介しましょう。
ギザの大ピラミッド
バビロンの空中庭園
ロードス島の巨像
オリンピアのゼウス像
エフェソスのアルテミス神殿
ハリカルナッソスのマウソロス霊廟
アレクサンドリアの大灯台
ギザの大ピラミッド
クフ王、カフラー王、メンカウラー王の3つがある。
古代世界の七不思議の中で、現在唯一残されている建築物である
バビロンの空中庭園
新バビロニア帝国の首都バビロンにあったとされる、立体型の庭園。砂漠の大庭園への水供給システムは未だに謎とされる。
ロードス島の巨像
地中海のロードス島にあったアポロ(ヘリオス)像。
オリンピアのゼウス像
古代オリンピックの開催地,オリンピア神域にあった守護神像。
エフェソスのアルテミス神殿
小アジアの貿易都市,エフェソスにあったアルテミス神殿。アテネのパルテノン神殿をも凌ぐ規模だった。
ハリカルナッソスのマウソロス霊廟
小アジアのカリア王国の領主マウソロス王、アルテミシア女王の墓。
アレクサンドリアの大灯台
エジプトのアレキサンドリアにあった大灯台。その巨大さで古代世界では有名で、ファロス(灯台)の語源になった。
では明日から!
ギザの三大ピラミッド Ⅰ
黄金ジェットだけを見ていると分からないかもしれないが、同じような黄金製の装身具は全て「動物形態像」なのだ。
発見当初は鳥か蛾、あるいは飛び魚を象ったものと思われていた。しかし、動物形態像は、カエルや犬、鳥、ジャガーなどのように、模倣された動物がすぐにそれと分かる造りになっているのに対し、黄金シャトルに限っては、はっきり特定できるほど似通った動物がいなかったのだ。
特定できないからといって、古代のデルタ型戦闘機が動物形態像に混じって模されていると考えるのはかなり無理がある。
黄金ジェットには口と思われる切れ込みや目玉に相当する二つの突起物があり、何らかの動物を模した物であることは明白だからだ。
黄金ジェットと寸分違わぬ動物は、すでにアマゾン川流域で発見されているのである。
その動物はプレコと呼ばれる魚類である。
日本で言うなら「ナマズ」に当たるが、南米産のプレコは模様が非常にハデで、鑑賞魚としても十分楽しめる。黄金の装身具にする価値は十分にあると言えるだろう。
形は、胸ビレが巨大なデルタ型をしていて、尾ヒレは真上に大きくそそり立っている。
頭から先は楕円形になっていて、背ビレは、ちょうど黄金ジェットの突起部分にあたる。さらに、腹ビレは胸ビレと同じく、飛行機の後翼のように左右に大きく開いているのである。
黄金ジェットの正体はまぎれもなく、プレコと言う魚だ。
黄金ジェットも僕のオーパーツのリストから外そう。
終わり!