心の赴くままに!

赤に染まる朝日を見て、青空と白い雲を眺めて、金色の夕陽を見る、そして夜空の星に語りかける、、
そんな日々を過ごしたい。心の赴くままに!

岩崎弥太郎 その4

二日目の交渉、聖徳寺の本堂に場所を移します。

20100921_1169660艦長・楠之助 「いかがであるか。貴艦としては見舞金一千両を受け取って交渉を終えるが最善の策と存ずるが。」
岩崎弥太郎  「お、お待ちくだされ!」
艦長・楠之助 「・・・お主は?」
弥太郎    「拙者、土佐藩、土佐商会会計主任、岩崎弥太郎と申すものにて候。」
艦長・楠之助 「その会計屋さんが、何用でござるか。」
弥太郎    「そちら9人、こちらは8人と聞き、不公平でござるので、助っ人にまかりこした。」
艦長・楠之助 「ほぅーしかしもう交渉は終えるところだ」
弥太郎    「その前に、確認したい事があり申す。」
艦長・楠之助 「何だ!」
弥太郎    「此処に、そちらから出された航海日誌がある、この中でいろは丸が沈没する時、全員を助けたと書いてあるが間違いござらぬかぬ」
艦長・楠之助 「それは助けるのが人の道、そちらが悪いからと言って、見捨ててはいかぬ、武士の情けである。」
弥太郎    「かたじけない!ところで41名を助けたとあるが相違ござらぬか!」
艦長・楠之助 「間違いないが、それがどうした。」
弥太郎    「一度紀州藩に勤めたことがある伝助が顔見知りだったので、始めに伝助を乗艦許可し助けたとある」「伝助は一番初めに縄梯子を上ってきたとある。」
艦長・楠之助 「そうだ!うちの当直士官が乗艦許可した、そのようなことどうでもよいではないか、こちらの航海日誌は間違っているはずかなかろう。」
弥太郎    「こちらの船員総勢34名!伝助は足を怪我しており縄梯子は上れず、仲間が負ぶってそちらの船に移ったもの、この事どうか説明してくだされー!」
艦長・楠之助 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
弥太郎    「夜中の航行にもかかわらず、当直士官がいなかったのでは?」
艦長・楠之助 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
弥太郎    「先日のお集まりの折、いろは丸のマストランプに投光されていないとのこと、当直士官がいないとのことであれば・・・・・・・・・・」
艦長・楠之助 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

艦長・高柳楠之助も絶句し、完全に形勢逆転です。
こうして紀州藩から七万両の賠償金を貰うこととなり、竜馬は弥太郎を共同経営者と同じ扱いで海援隊に入れます。
龍馬の暗殺は、この事を恨みに思った紀州藩士の反抗という説は今でも有力です。
弥太郎が龍馬の死を知ると同じ頃に紀州藩から7万両が届きます。
弥太郎は目の前に積まれた七万両の千両箱を前に「坂本さん、わしゃこれ、どうしたらええですか」と立ち尽くしたそうです。

この七万両のうち四万両が土佐商会の預かりとなり、その運用資金をもって独立した岩崎弥太郎は、九十九商会、三川商会、そして「三菱商会」を立ち上げ、最近色々問題の多い三菱の元となったのです。

いろは丸事件を語った弥太郎の生家で掃除していた老人の話はこれで終った。


いろは丸が沈まなかったら、三菱はなかったかもね!


又、明日!

岩崎弥太郎  その3

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(写真 岩崎弥太郎の銅像は、何故右手を横に出しているのだろう?)



ここは長崎西浜町海援隊本部、全員が集まり会議を行っております。
長い沈黙の後、陸奥陽之助が席を切ったのです。
陽之助 「隊長!隊を辞めさせてください」
竜馬  「陸奥!なんじゃ不甲斐ないわしに愛想尽かしかや!」
陽之助 「違います、このままでは隊は破滅です、高柳楠之助を斬って自分は腹を切ります。」
竜馬  「愚かな事や、高柳楠之助を一人斬ってもどうにもならんぜよ!」
陽之助 「紀州藩を背中に背負った居丈高な態度、許せんのです。」
全員  「先生!わし等も同じ気持ちです。」
龍馬  「困ったねや。いずれ幕府倒そうちゅうモンが、御三家ひとつにこない手を焼くとは情けない。それにしてもあいつらあんなに交渉が上手とは思わなんだ。」
皆で切り込むという隊員をなだめ、独りになるとさすが竜馬も出口のない交渉に諦めの心境でした。
そこに土佐藩土佐商会の岩崎弥太郎が訪ねて来るのです。
弥太郎 「この度は大変な災難でしたね。」
龍馬  「おうー弥太郎か」「ああ・・・災難も災難じゃ、大災難じゃ、いろは丸が始めての航海で沈んだ、えらい損害や、船だけやない、あそこにゃ長崎で仕入れたばかりの最新式のミニエール銃が三百九十丁も積み込んであったがじゃ。一丁十五両としてなんぼじゃ・・・・・・・・」
弥太郎 「五千八百五十両です。」
龍馬  「そうか! とにかく紀州藩は、コマイ船が避けるのは当たり前じゃって、全然払う気はないし、もうイヤになったぜよ。」
弥太郎 「交渉を放棄するちゅうこちですか!」
龍馬  「そんなこと言うちょうらんが、どうにもならんぜよ」「わしゃ不運の男じゃ」「おまんのような、そろばん侍にはわからんぜよ。」
そこで弥太郎は、前の記事に書いた言葉で龍馬を戒めたのです。
弥太郎 「わしはな、おまんのことを羨ましいと思っておったんじゃ、わしは学問はできたが剣術ができん、船も動かせん、家や親や土佐藩を捨て飛び回る度胸もない、郷士株を買って侍になった裕福な家の息子、わしは逆に郷士株を売って地下郎人に落ちた貧乏人の小伜じゃ、何が不運じゃ、おまんはわしにないもんを全て持っとるやないか、何もかも持っとるおまんが頑張ってくれんと、わしらもやる気になれんじゃないか!」
龍馬  「・・・・・・・・・わかった!弥太郎わしが間違うてた、明日は紀州藩との最後の交渉じゃ、すまんが力かいてくれ!」
弥太郎 「承知した!」「先ず記録を徹底的に洗いなおす。」

こうして弥太郎は、最終の交渉に参加するのです。・・・・・・・・・では又、明日。

岩崎弥太郎 その2

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(写真↑ 生家の背後にある蔵、壁面に三菱のスリーダイアのマーク)(写真右 表座敷に南面する小庭、石組は弥太郎が日本列島を形どって置いたものといわれている)


岩崎弥太郎は13代土佐藩主、山内豊照に秀才を認められ、21歳の時、彼は単身江戸へ遊学に出た。
江戸で勉学に励んでいた弥太郎ですが、江戸へ出てわずか1年、酒席での喧嘩がもとで投獄された父親の事を知り、高知に帰ってきた。
父親の免罪を訴えたことにより、弥太郎自身も投獄され、その後、村を追放された。
村を追放された弥太郎は、現在の高知市鴨田に住み、現在の高知市長浜で少林塾を開いていた吉田東洋のもとに入門し、才能を認められ弥太郎は土佐藩に登用されることになる。
長崎へ視察に行き、海外事情を学び、34歳の時、土佐藩の商社である土佐商会の長崎駐在員として長崎に赴任した。


ゆっくりとタバコを吹かしながら、老人の話は続いた。

1
回目の交渉の場所長崎銭座町の聖徳寺、紀州側よりは明光丸艦長・高柳楠之助をはじめとする乗り組み九名、海援隊・いろは丸隊長・坂本龍馬をはじめとする八名で行われた。
 
艦長・楠之助 「さて、互い航海日誌の記録を照らし合わせたところ貴艦いろは丸の操縦間違い、不注意による衝突であったことはあきらかと思われる。わが紀州藩としては藩主より特別のご好意をもって見舞金一千両、一万両の貸与をくだし置かれるものとする」
隊長・龍馬 「待たれよ。我がいろは丸は船価三万両、積み荷数万両、それを沈めた見舞金が一千両とはなんですか。それに一万両を「貸してやってもよい」とは・・・」
艦長・楠之助 「されど、貴艦には船上に国際規約に基づきたるマストランプの灯火なく、非はそちらにあり。当方には賠償の責これなく・・・」 
隊長・龍馬 「マストランプの無しとの証拠、いずれにありや」
艦長・楠之助 「当方航日誌によれば、衝突の際、貴艦船員に問いただせし所、いろは丸にはもとよりマストランプこれなく候との証言あり」   
隊長・龍馬 「おい、ランプがついてなかったち、言うた船員は誰じゃ?」
いろは丸・船員 「・・・さあ・・・・」 
隊長・龍馬 「その船員の名をお聞かせ願いたく」    
艦長・楠之助 「当艦の士官・前田、岡崎の両名その証言を聞きしが、不覚にも貴艦船員の姓名を聞く事を忘れたり、」
隊長・竜馬 「なんじゃーそれ!」全員ズッコケル 
                      
とにかくさすが葵の御紋、紀州藩は「悪くない」の一点ばり。相手が土佐藩でなく、どこの馬の骨ともしれぬ海援隊という烏合の衆と知ったので居丈高になって、結局1回目は平行線。

龍馬と海援隊は、トボトボと帰って行くのでありしまた。・・・・・・・・では又、明日。

岩崎弥太郎 その1

室戸から高知市の方に向かうと安芸市がある。
そこが三菱財閥の創設者、岩崎弥太郎の生家がある。
高知で一番見たかったのは、弥太郎の生家だ。彼はどのような所で生まれ育ったのか、すごく興味があった。
坂本竜馬は郷士の株を買ったのに対して、弥太郎の家は郷士の株を売り、岡田以蔵と同じく武士で一番下の身分だった。
弥太郎の生家は、生け垣を巡らした屋敷内に茅葺の母屋や2階建て土蔵があり、土蔵の鬼瓦には岩崎家の紋で後の三菱のマークの原型といわれる三階菱があった。
弥太郎が貧困の少年時代を送ったとされるが、想像できないほど綺麗で落ち着いていた家であった。


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縁側に腰を下ろし、竹箒を動かしている老人を眺めていると、「何処から」と土佐方言の入った言葉で問いかけられた。

老人は仕事の手を休めて隣に座り語りだした。
方言の入った言葉は、僕には半分しか分らなかったが、興味深い内容だった。

竜馬が亀山社中を海援隊に改編し蒸気船を手に入れた。
物の始めと言う意味の「いろは丸」と命名するが、この船は処女航海の時、紀州藩船「明光丸」と衝突し、宇治島沖で沈没した。
(海援隊は升屋清右衛門宅へ宿泊したことで、福山市鞆町に「いろは丸展示館」なるものもある)
この時、「いろは丸」に武器も積んでいたので、海援隊の被害はかなり大きく、紀州藩との間で、責任問題と賠償で難航していた。
交渉がうまく行かず頭を抱えていた竜馬のところへ弥太郎が訪ねて来て、「何が天下国家じゃ。好きなように脱藩して、好きなように飛び回って、ちと事故が起こったらもう止めたか。そりゃちと無責任すぎやせんか。あの「いろは丸」が走るまでにどれだけの犠牲があったか、大洲藩の国島六左衛門どのは、おまんにそそのかされて、「いろは丸」買った責任取って腹切った。それと、おまんがユニオン号の取引の時死なせた近藤長次郎、ワイルウェフ号で難破した池内蔵太、二人とも、地に足のついた真面目な奴じゃった。おまんの夢みたいな話に騙されて命を落としたんじゃ、おまんには奴等の分もやらなならん義務がある、夢を見せた分の責任がある。情けない。」と言ったそうだ。

老人の声は、時には竜馬、時には弥太郎の声に聴こえた。・・・・・・・・では又、明日。


 

龍馬を切った男  結論

さぁ!今日も竜馬を斬った男を一緒に推理してみよう!





sinseifukouryouhattusaku1桑名藩が黒幕なのか?疑ったところでしたね!
会津藩主松平容保の弟である松平定敬が桑名藩を相続し、京都所司代を務めていました。

桑名藩も会津藩と同じく、「大政奉還」の後、新政府が出来た時点でのことを考えると、不安感が藩内には鬱積したと思います。
しかし、所司代が直接指示をしたのは考えにくいので、桑名藩上士が関与したのでは!

6
9日の記事で、一度否定したが薩摩藩が、気になってしょうがない。

「西尾秋風先生35年間何を研究したのですか?」と失礼なことを言ってしまったが、もう一度考えてみたい。
武力倒幕を主張してきた薩摩藩にとって、龍馬の行った「大政奉還」 は恨むべき行為です。
今後の政治体制は、薩摩藩、西郷隆盛らの主張する徳川家取りつぶし、上院・下院を置く議会政治は非常に邪魔な意見だった。

西郷は龍馬と友情関係があったはず、しかし、大久保利通はどうだろうか。
竜馬の実行力を知る人間の一人である大久保は鬱陶しく思った事でしょう。
西郷以上の工作力と計算力を持っているのだから、大久保独断で関与したとも考えられる。
西郷は、今井や新撰組の近藤に対しても、龍馬暗殺の疑いがかけられた時、寛大な処置をしてほしいとの意思を示している。
大久保の龍馬暗殺に関与したことを、後で西郷は知ったのではないか。
西尾秋風先生の実行犯、中村半次郎は違うが、後の考えは正しいのではないでしょうか。
大久保が関与していたなら、実行犯の中に土佐藩士がいてもおかしくない。

結論
「実行犯」
「佐々木只三郎、今井信郎、桂隼之助、渡辺一郎、世良俊郎、渡辺吉太郎、土佐脱藩者数名」

人数は定かでないですが、9名説が正しいのではと思います。
このメンバーは京都見廻組、佐々木只三郎中心ですが、「最近目立ってきた竜馬を皆で斬ってやろうか。お偉らさん殺してと言っているし」といった若者の軽いのりで、混合されたメンバーだと思います。

「2階に上った犯人」
「桂隼之助、渡辺吉太郎、渡辺一郎、世良俊郎、土佐脱藩者1名」

世良俊郎が鞘を置いていった。
犯人は、名刺など渡さず、佐々木只三郎が一番先頭で突入し、藤吉を斬っている間に、次に突入した順に、「ほたえな!」と龍馬の声がした2階に次々と上がっていったのです。

「情報提供者」
「後藤象二郎、伊藤甲子太郎」

ユダさんの意見で、龍馬は後藤象二郎のことをよく思っていたとのことですが、後藤象二郎は龍馬のことはよく思っていなかったと思います。
何らかの情報の提供はしていると思います。
鞘が「新撰組副長助勤の原田左之助のものである」と証言した伊藤甲子太郎は、近藤勇が本来の尊皇の意志を捨て、幕府の犬に成り下がった事から新撰組から分裂という形で離反し、高台寺党を作り薩摩の庇護に入った人です。
龍馬の居場所を、教えたのは伊藤甲子太郎です。

「京都見廻組の発表を止めた人」
「手代木直右衛門」


「黒幕」
「大久保利通、桑名藩上士」

薩摩藩と桑名藩は、仲が悪いですが竜馬暗殺の時点ではそうでもなかったようです。何かの時に大久保と桑名藩上士が出会って、龍馬暗殺の意見があった。
大久保利通は伊藤甲子太郎に指示、桑名藩上士は佐々木只三郎に指示した。
しかし、この接点は証明できません。これを証明できると推理は完璧なのですが。

「致命傷を負わせた男」
「桂隼之助」

桂隼之助の物的証拠の刀が、一番有力だと思わざるを得ません。

「龍馬を斬った男」
「桂隼之助、渡辺一郎」


この結論は、個人的な推測であり、事実ではないかもしれません、日本史のミステリーはミステリーだから面白いのかも!?・・・・・・・・・・。

またいろいろ情報頂だいた方々、また長い間お付き合い頂だいた皆さんありがとう御座います


 

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私は本ブログ管理者のふーと申します。
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