心の赴くままに!

赤に染まる朝日を見て、青空と白い雲を眺めて、金色の夕陽を見る、そして夜空の星に語りかける、、
そんな日々を過ごしたい。心の赴くままに!

バビロンの空中庭園 Ⅰ

09772253もっとも僕が興味をそそり、考えるだけでワクワクするのが新バビロニア帝国の首都バビロンにあったとされる、立体型の庭園バビロンの空中庭園だ。

1899年バグダードのユーフラテス川近く、ある都市の遺跡を発見した。
その遺跡こそ、その最盛期には富と権力のスケールにおいて空前の繁栄を遂げた、都バビロンだったのだ。

紀元前6世紀、ネブカドネザル大王はハムラビ時代のバビロニアに広大な城壁を造り、数々の大神殿を建てた。
首都を取り囲む城壁は65k、高さ90m、厚さ24mもあり、首都への入り口は青銅づくりの道幅が24mの巨大な門が100個もあり、門を通って入って行くと、ピンク色の大理石の板が敷きつめられた大通りが続き、その先には前後2段から出来た巨大な門イシュタールの門があった。
この門は、釜で焼かれたレンガを接合して造られており、その表面を岩のように固い紺色の光沢レンガがおおい、色鮮やかな竜や雌牛の像がたくさん彫られていた。









バビロンの空中庭園 Ⅱ

ギザの三大ピラミットⅥ

muse37ギザの大ピラミッドの中でも、もっとも小さいのが、カフラー王の息子メンカウラー王のピラミッドである。
高さ約66.5メートル(創建時は70メートル)、底辺約108.5メートル、勾配51度20分という規模のピラミッドだが、大きさだけでいえば祖父クフのものと比べればおよそ半分しかない。
小さな理由は、メンカウラー王がまれにみる人格者で、ピラミッド建造にともなう強制労働をどうしても是認できず、自分用のピラミッドそのものも規模を削減するか、廃止しようと考えていたと言われているが、事実はクフ王とカフラー王による空前の大事業によって、すでに国庫は底をつき、新たな大事業を行うだけの財政的な余裕がなくなったのだ。
メンカウラー王は別の方法で自分の姿と業績を残そうと考えた。
別の方法とは数多くの彫像を制作することであった。
二体像(ダイアド)または三体像(トライアド)と呼ばれる物で、ノモスの女神たちと自分とが並んだ像を作ることで、自分がエジプト全土を支配しているのだということをアピールしたのだ。
メンカウラー王の彫像は数多く発見されている。

img_5イギリス人ハワード・ヴァイスは、1837年にメンカウラー王のピラミッドの入口を発見した。
彼は通路を埋めていた土砂を取りのぞきながら50メートルほど進み前室の下にある玄室に入り、玄武岩でできた蓋なしの石棺の中には木製の人型棺が入っているのを発見した。
ヴァイス大は苦労して石棺と人型棺をピラミッドから引き出し、大英博物館に宛てて船便に乗せた。
人型棺を積んだ船は無事にロンドンに着いたのに、石棺を積んだ船はリボルノの港を出てからすぐに暴風雨に遭遇して沈没してしまったのである。
今でもその難破船は見つかっていない。
メンカウラー王のピラミッドの玄室からは、布に包まれた肋骨や大腿骨、背骨の一部が見つかった。これがまだメンカウラー王のものだという証拠はないが、ピラミッド中から遺体の出たのは、メンカウラー王のピラミッドだけである。
             
                          ギザの大ピラミッド    完


バビロンの空中庭園 Ⅰ

ギザの三大ピラミットⅤ


img_0カフラー王のピラミッドの注目する点は、創建当時のピラミッド・コンプレックス「ピラミッド複合体」を今でもそのまま見ることができることだ。
完成時にピラミッド複合体を構成していたピラミッド、葬祭殿、ピラミッド参道、河岸神殿、そして世界的に有名なスフィンクス像とスフィンクス神殿のすべてが今でも残っている。
河岸神殿、死せる王を死者の世界に送り出すための儀式の場として跡地に神殿が建てられた。ピラミッド参道は石材を運搬した斜道の跡だ。
スフィンクス像は高さ20メートル、全長73メートルで、人間の頭部はカフラー王の生前の容貌をモチーフに造られライオンの胴体は「力強き王」の象徴している。
実物大以上の大きさとしては世界でもっとも古い肖像であるということになる。
スフィンクス像は別の場所で作られてここに運ばれたのではなく、もともとその場所にあった石灰岩の岩山を彫り抜いたものなのである。

スフィンクス像の鼻が破壊されているのは、ナポレオン率いるフランス軍がやってきて、大砲の試射の際に標的にされて破壊したと言われているが、彼らが来たときには像は砂に埋まっていたらしい。
そのまま砂に埋まっていたら、現在のように劣化しなかったろうに、地球を汚している人間の影響が、このスフィンクス像にも現れている。


ギザの三大ピラミットⅥ

ギザの三大ピラミッドⅣ

カフラー王のピラミッド
yjimageG5PW73A7カフラー王はクフ王の次男である。
カフラー王のピラミッドは、底辺の一辺の長さが約214.5m、高さが約143.5mであり、クフ大ピラミッドと比較すれば、少し小さいことになる。
父クフ王のピラミッドより高く見えるが、カフラー王のピラミッドはそれより高い場所に建っているからそう見えるだけなのである。
実際には創建当時の父のピラミッドより10メートルも低い。今でも頂部を9メートルも失った父のものよりもまだ1メートルも低いのである。おそらくカフラー王は父を意識して、わざわざ父よりも高い場所を選んでピラミッドを建造したのだろう。
カフラー王のピラミッドは父クフ王のものとは違い、ピラミッドそのものに内部構造物はない。
入口は北側に2カ所あり、それらは内部で合流する。そこからほぼまっすぐ平らな通路が続き、玄室に至るが、今では花崗岩製の簡素な石棺があるだけである。
その玄室はピラミッドの頂点からちょうど真下にあたり、地表とほとんど同じ高さにある。つまりピラミッドそのものは単なる積み石であり、あらかじめ造られた玄室の上に「乗っている」だけなのである。
このピラミッドには、創建時に表面を覆っていた外装用の石が上部に残っている。
表面が滑らかに磨かれた外装石がピラミッド全体を覆い、太陽の光を浴びて燦然と輝いていた光景を想像できる。



ギザの三大ピラミットⅤ

ギザの三大ピラミッドⅢ

81306024005920ピラミッドには一個2.5トンの石灰岩が230万個つかわれており,210段にわたって積み上げられています。これは東京駅170件分に相当する石材が使用されている。
壁面は化粧石といわれる磨き上げられた石灰岩で覆われていた。
外装用の石は現在崩れてしまっているが,当時のピラミッドの壁面は滑らかだった。
建設作業は石の切り出し,運搬,工事用道路の建設,基礎工事などの準備段階で10万人が3ヶ月交代で10年、さらに石の積み上げ作業に20年以上かかった。
クフ王のピラミッドの中に入ってみよう。
アル・マムーンの開けた入口から通路を進むと、中腰にならないと通れない狭い上昇通路に至る。 
約40mある上昇通路を昇りきると、水平通路と大回廊との分岐点がある。
giza7上昇通路の延長である大回廊は高さ8.5m、幅2m、長さ47mという大きさなので、楽に立って歩ける。
古代建築の偉業と賞賛されるこの大回廊がある。(左写真)
大回廊を昇りきると、王の間への侵入者を防ぐための石落としの装置のある控えの間がある。そこを過ぎると、いよいよ王の間だ。

奥行き10.5m、幅5.2m、高さ5.8mと広々としているが、意外にも何の装飾もなく、部屋の奥に蓋のない花崗岩製の石棺が置かれているだけである。
王の間や石棺が余りにも質素なものだ。これから想像するにビラミッドはやはり王の墓ではないのだろう!














ギザの三大ピラミッドⅣ

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私は本ブログ管理者のふーと申します。
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生まれは能登、現在金沢に住む、バツ1の男性。
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いまだに夢を追っかけて、愛を捜し求めているらしい。これから赤い糸で結ばれる相手が何処かにいると今も信じる。寂しいのは嫌いだが、寂しい自分を外から見ているのは好き。
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