オーパーツとされるヘッジスの水晶ドクロは、調べていくと何故か怪しいところが多くでてくる。
先ず、発見当時アンナはルバアンタンにいなかったのではという疑問がある。

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、ヘッジス一行が探検の際に撮った写真がいくつも残っているのだが、その中にアンナが写っている写真が一枚もない。
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、大発見であるはずの水晶ドクロの写真も一枚もない。
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、探検の主要メンバーのひとりであったトーマス・ガン博士が、1931年に『マヤの歴史』という本を出版しているが、その中にアンナ・ミッチェル・ヘッジスの名前はもちろん、水晶ドクロに関する記述も一切ない。
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、ルバアンタンで発掘調査を行い、この遺跡の全貌を解説した本を出版したノーマン・ハモンド博士も、「あらゆる文書記録を見るかぎり、歴然としているのですが、彼女がルバアンタン現地に行ったというのは絶対にありえないことなのです」と言い切っている。
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、アンナが水晶ドクロを発見したのは1927年、自分の17歳の誕生日の当日だと語っているが、ヘッジス一行は1926年にイギリスに帰国している。


アンナ・ミッチェル・ヘッジスは発見現場ルバアンタンにいなかったのだ。
その場にいないのに発見できるわけが無い!
しかし、水晶ドクロが実在していることは確かである。

では、ルバアンタンで発見していないとすれば、水晶ドクロは一体どこで手に入れたのだろうか?