水晶ドクロは一体どこで手に入れたのだろうか?

89625330実は、1943年、シドニー・バーニーという美術商が、問題の水晶ドクロをロンドンのサザビーズに競売に出したが、希望していた価格では売れなかったので、自己落札して買い戻し、1944年にミッチェル・ヘッジスが400ポンドで水晶ドクロを買い取った。
このことはロンドン美術館の記録にも残っており、アンナ自身も認めているが、借金のカタに水晶ドクロを取られてしまい、競売に出たので慌てて買い戻した、との事。

しかし1936年に、大富豪だったミッチェル・ヘッジスの父親が死んで、莫大な財産を彼が譲り受けている。
借金する必要もないし、借金のカタというのは考えられない。

では、ヘッジスの水晶ドクロは何時頃何所で作られたものなのだろうか!





伝説の13個のドクロのうちの1つと言われている、「ブリティッシュ・スカル」が現在イギリスの大英博物館に所蔵されている。

このブリティッシュ・スカルの持ち主はユージン・ボバンという古美術収集家で、彼は1886年にドクロをニューヨークのオークションに出した。
その年の12月、ニューヨークの宝石店「ティファニー」の共同経営者だった、エリスという人物がドクロを買い取った。その後、「ティファニー」からジョン・エヴァンズがドクロ買い取り、それを大英博物館に売ったという。

ユージン・ボバンが水晶を入手した先は、ドイツのイーダル・オーベルシュタインという町だ。この町は中世以来、世界的に知られた石細工の中心地で、多くの水晶加工職人がいるのだ。
水晶ドクロを作るには、現代の技術をもってしても不可能だと言われているが、この町ではもっと精巧な水晶ドクロが今でも作られ、街の片隅で普通に売られているらしい。

1996
年に大英博物館で行われた調査で、ブリティッシュ・スカルは19世紀以降に作られたという分析結果が出た。
ヘッジスの水晶ドクロも19世紀この街のどこかで作られたのではないだろうか!
最近、ヘッジスの水晶ドクロの下顎の部分に金属加工の跡も見つかっている。

アンナ・ミッチェル・ヘッジスはロマンと想像力の逞しい女性だったんだろう。只、少し嘘つきだった。
ヘッジスの水晶ドクロは、僕のオーパーツのリストから外そう!

次回は、「
ピリ・レイスの地図