この地球儀は本当に聖徳太子が作ったものなのか?
コベルコ科学研究所で地球儀の年代を特定するために鑑定した。
分析の結果、炭酸カルシウムの結晶である「カルサイト」と、「スサ」と呼ばれる繊維質が発見された。
このことから、地球儀が「漆喰」という方法で作られたものと解かった。
漆喰とは、石灰岩を粉にしたものに水と糊を混ぜ粘土状にしたもので、古くから家の壁を作る建材として使われている。さらに、漆喰に使用されている糊の成分を分析したところ、江戸時代に使われ始めた海藻糊が検出された。
この結果、この謎の地球儀は聖徳太子が作ったものではなく、江戸時代以降に作られ、斑鳩寺に持ち込まれたものだと推測できる。
この地球儀が江戸時代に作られたものなのだ。これもオーパーツではなかった。
聖徳太子の地球儀は、僕のオーパーツのリストから外そう!


2g2kでは、この地球儀は誰が作ったものなのか?
石灰や海藻糊は薬として使用されていたことから、医者が作った可能性が高いという。
さらに、地球儀の表面に残されている地名とおぼしき謎の文字に注目した。
南極と思われる部分に書かれた文字、1文字目は「墨」、2文字目は「瓦」、3文字目は古代中国の仏教の教典に見られる「臘(ら)」という文字。そして、4文字目5文字目は消えかかっていたが、「さんずい」「ちから」の部首を使用し、合計5文字で構成されているという。そこで、この事実をもとに謎の文字を調査したところ、「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」と書かれていることが判明した。
墨瓦臘泥加(メガラニカ)とは、古代ギリシャ時代に「南半球には巨大な未知なる大陸が存在する」といわれた架空の大陸を意味する。
名前の由来は、世界一周を成し遂げたマゼランのスペイン語名から名付けられた。日本には1592年以降、ポルトガルの宣教師により伝えられたという。
江戸時代の医者、「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」という文字の書かれた地図に関わりのある人物で、寺島良安という人物が浮かび上がった。
江戸期に活躍した大阪の医者で、日本初の百科辞典「和漢三才図会」を編纂した人物。
その「和漢三才図会」の中に「山海興地図」という地球の絵を載せている。
「山海興地図」と斑鳩寺の地球儀は墨瓦臘泥加(メガラニカ)を始めとする様々な大陸の位置が一致していた。
謎の地球儀は江戸時代の医者寺島良安によって作られ、何かしらの理由で斑鳩寺に献上された為、いつしか「聖徳太子の地球儀」と解釈されるようになったのだ。