さぁ!今日も竜馬を斬った男を一緒に推理してみよう!



昨日は薩摩藩も怪しいのでは?と疑いを持ったところでした。
薩摩藩 「中村半次郎説」 を主張されているのが、龍馬暗殺の研究を35年以上も続けられている、歴史家の西尾秋風です。
西尾秋風の薩摩藩説の根拠は、暗殺現場となった近江屋の主人,新助の子孫である井口新助宅で発見された、海援隊幹部、佐々木多門が岡又蔵に宛てた密書です。

密書の内容は、このようなものです。
「才谷殺害人,姓名まで相分かり,これにつき薩摩の処置など,種々愉快の義これあり,いずれ後使,書取り申上ぐべきと存じ奉候」
訳すと、このようになります。
「才谷 (坂本龍馬の変名) を殺害した人間が判明した、と報告する文書である。その人間の名前は書いていないが、「薩摩の処置」 とあるため、犯人は薩摩の人間と判断出来るというのである。」

この蜜書から、西尾秋風は切り込み隊長格の中村半次郎を中心として、土佐脱藩者で暗殺グループを構成したと推測したのです。
宮川助五郎 (新撰組捕らえられていた土佐脱藩者) らを土佐藩は引き取れず、薩摩藩が引き取りとったという事実はあります。
宮川助五郎を含む土佐脱藩者を龍馬暗殺グループに引き入れたのかもしれません。
事件当時、薩摩と土佐は「薩土同盟」の関係にあり、このくらいの裏取引は簡単にできたというのです。

薩摩藩説の動機を西尾秋風はこのように考えたのです。
武力倒幕を主張してきた薩摩藩にとって、龍馬の行った「大政奉還」は恨むべき行為です。
今後の政治体制は、薩摩藩、西郷隆盛らの主張する徳川家取りつぶし、および中央集権政治に対し、土佐藩、山内容堂、後藤象二郎らの(素案は龍馬の主張する)、徳川も含めた、上院・下院を置く議会政治は非常に邪魔な意見だった。
龍馬とは「倒幕」の同志として親交の厚かった中村半次郎だが、「徳川救済」にも見える龍馬の「大政奉還」をはじめとする様々な思想は、裏切り者と感じた。

中村半次郎にはアリバイがなかったとか、「こなくそ!」は薩摩弁の「こげなくそ!」の聞き違いだと、西尾秋風先生は言っています。

o0300025213174389385中村半次郎と龍馬や慎太郎は顔見知りだが、中岡慎太郎の証言には、「顔見知り」の証言は一片もないし。
アントレのコメント(慎太郎が犯人を見て、慎太郎に止めをしていないところ見ると、慎太郎が見たこともない人物であることは確かですね。)
土佐藩も「ぐる」であり、慎太郎の証言を変えたのかもしれないが、非常に考えにくい推理です。
西尾秋風先生の説は、密書内容を前面的に信用しているが、いろいろな面で無理があると思いませんか?
「西尾秋風先生35年間何を研究したのですか?」と言いたい。

「じゃー!犯人は誰なのよ!」「あーじれったいです。」ぶんママまたまた怒られそうですね!

新鮮組でなく、薩摩藩、でもなければ、むぅ・・・・・・・・・・・・・やはり紀州藩ですかね!
いろは丸で賠償金を取られた紀州藩が怪しいのでは?

今日はこれまで、明日ゆっくり一緒に推理しょう!