さぁ!今日も竜馬を斬った男を一緒に推理してみよう!



昨日は紀州藩も怪しいのでは?と疑いを持ったところでした。
竜馬暗殺の年の4月に、紀州藩は、「いろは丸事件」によって、竜馬に多額の賠償金を支払わされていた。そのため、紀州藩士は坂本の辣腕に深く恨みを抱いていた。
そこで新撰組を使って、紀州藩は黒幕ではないかと言う疑いだが、これには証拠も何もない。

実行犯も新撰組ではないと、前の記事で結論づけた。
常識的にそんなことで、人を殺めないのではないか。紀州犯はどう考えても白でしょう。

人が殺された場合、一番得をするのは誰かですね!竜馬暗殺の場合、土佐藩の後藤象二郎です。
大政奉還が、竜馬のアイデアであることは、後世の我々は知っているが、当時、これを知っていたのは、海援隊書記の長岡謙吉と数人です。
信じられないような話だが、大政奉還は、後藤の考え出した妙案だったと堅く信じられています。
竜馬のアイデアを盗用した、土佐藩の後藤象二郎が怪しいのでは?

_thumb_kupk_00020_800_800土佐藩の後藤象二郎を調べてみましょう。
盗用したことを、世間に知れたら名声が地に墜ち、賞与の1,500石もフイになってしまう。
後藤象二郎は、竜馬の死で大儲けした。海援隊の財産をそっくり岩崎弥太郎にくれてやり、そのかわり使い込んでいた40万両の借金を肩代わりさせている。
後藤象二郎は、坂本竜馬と仇敵関係にあった。後藤象二郎の恩師の吉田東洋を暗殺させたのは、竜馬の親友武市半平太であった。そして後、武市半平太を切腹させ、武市一党の粛清に抜群の働きをしたのが後藤象二郎なのである。

怪しいのは、怪しいですね!名誉と金が一番ひっかかりますね!
実行犯でなくても、龍馬の居場所を教えたかもしれませんね!
しかし証拠がない!
灰色ということで、棚上げしましょう。

ぶんママの頭が爆発する前に結論を出さないといけないですね!
ごめんなさい!一生懸命推理します。

長州藩はどうだろう。
もう分らないので、長州藩が怪しいのでは?
この頃長州藩はボロボロで薩摩の後ろを歩く事を決めていた。
慎重過ぎる性格の桂小五郎を政治のトップとして、「ゆっくり(維新の)功を焦らず慎重に行こう」としていた。
その長州藩が坂本龍馬という要人の間で名の通った人物を暗殺するだろうか?
軍のトップであった大村益次郎も「なるべく(戦争は)後の方が良い」と語っていたように、大軍を繰り出すなんて事の出来る状態では無かったのに、竜馬を暗殺してまで倒幕に急ぐ状態では無かったと思う。
龍馬暗殺によって唯一長州が得そうなメリットは考えられない。

もう焼け糞で、幕府、徳川本体が怪しいのでは?

今日はこれまで、明日ゆっくり一緒に推理しょう!