戦国みつを を取調べた結果、単なる酔っ払いでした。

5c767f29今井信郎の明治3年に供述した記録(口述書)によると、今井は見張り役なのに、明治33年になって「近畿評論」 という本の中で発表された内容は、今井が龍馬を斬ったとなっており、それによると、桑名藩の渡辺吉太郎と京都の与力で桂隼之助という人物ともう1人の4人で、近江屋を襲い、今井ともう一人が8畳間で竜馬を斬ったと述べている。明らかに矛盾している。人数も違えば、今度は自分が斬ったなどと、違う事を(写真は、桂隼之助は小太刀) 言っている。

昨日の今井信郎のあやふやな自供は置いといて!
渡部一郎(篤)の遺書を見ていましょう。
襲撃したのは、佐々木只三郎の命により、佐々木、渡辺一郎、今井信郎、世良俊郎の他2名の計6名です。給仕の少年は助けました。鞘を忘れたのは世良俊郎です。暗殺の報酬として毎月15人扶持(7升5合)を貰いました。私が龍馬を斬りました。と書いてある。

桂隼之助(本名早之助)の龍馬を斬ったという小刀も出てきたら、竜馬を斬ったのが、3人も名乗り上げた事になります。
誰かが嘘をついていることになりますね!3人とも嘘をついているのでしょうか。
3点が一致していたら問題はないのですが。京都見廻組隊士を一番疑っていたのにどうしましょうかね!困りました。ぶんママ助けてください!

この三人
の今井信郎の渡部一郎の桂隼之助についてもう一度考えてみます。
今井信郎は長い間、追及され拷問を受けた後の極限状態に追い込まれて精神の中、自白したもので信用できない。それに後になって内容が違っています。
しかし、今井が30年後に言った中には一部本当の事があるような気がします。
もう誰にも、強制されない時、ふと友達の息子にもらしているのが「近畿評論」に掲載されたのです。
しかし、龍馬を斬ったと言うのは、自慢話をしていて、つい英雄気取りで言ったもので、嘘のような気がします。
(
桑名藩の渡辺吉太郎と京都の与力で桂隼之助という人物)とありますが、この事は本当で渡辺吉太郎、桂隼之助、今井信郎は実行犯の中に入っているのではないでしょうか。
渡部一郎の名前は、今井信郎の自供の中には出てこないですが、人間死ぬ前に嘘をつくでしょうか。
桂隼之助は小太刀の使いの名人だったようです。真実身があるような気がします。

誰の証言からも名前がでてくる、佐々木只三郎の事を推理してみましょう。
今までの事柄から、佐々木只三郎は龍馬暗殺に何らかの関与があったのは間違いないでしょう。
龍馬暗殺の実行犯、佐々木只三郎が自分の意思でしょうか?違うでしょう!黒幕は絶対にいるはずです。
佐々木只三郎は、上司には忠実な男だったそうです。
佐々木只三郎に暗殺を指示した、黒幕は誰か?
思い出しました、竜馬は伏見池田屋事件の時、確か新鮮組の隊士を2人殺していますね!指名手配中の身ということは佐々木只三郎が龍馬を暗殺したとすると、勲章ものです。
京都見廻組の手柄にして、世の中に直に発表するのではないでしょうか?
でも発表しなかった、これは背後に、殺害を指示した黒幕の存在を意味します。
竜馬暗殺の事実を実行犯である見廻組頭、佐々木只三郎に口止めした人物、その人物が黒幕です。

今日はこれまで、明日ゆっくり一緒に推理しょう!