さぁ!今日も竜馬を斬った男を一緒に推理してみよう!





sinseifukouryouhattusaku1桑名藩が黒幕なのか?疑ったところでしたね!
会津藩主松平容保の弟である松平定敬が桑名藩を相続し、京都所司代を務めていました。

桑名藩も会津藩と同じく、「大政奉還」の後、新政府が出来た時点でのことを考えると、不安感が藩内には鬱積したと思います。
しかし、所司代が直接指示をしたのは考えにくいので、桑名藩上士が関与したのでは!

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9日の記事で、一度否定したが薩摩藩が、気になってしょうがない。

「西尾秋風先生35年間何を研究したのですか?」と失礼なことを言ってしまったが、もう一度考えてみたい。
武力倒幕を主張してきた薩摩藩にとって、龍馬の行った「大政奉還」 は恨むべき行為です。
今後の政治体制は、薩摩藩、西郷隆盛らの主張する徳川家取りつぶし、上院・下院を置く議会政治は非常に邪魔な意見だった。

西郷は龍馬と友情関係があったはず、しかし、大久保利通はどうだろうか。
竜馬の実行力を知る人間の一人である大久保は鬱陶しく思った事でしょう。
西郷以上の工作力と計算力を持っているのだから、大久保独断で関与したとも考えられる。
西郷は、今井や新撰組の近藤に対しても、龍馬暗殺の疑いがかけられた時、寛大な処置をしてほしいとの意思を示している。
大久保の龍馬暗殺に関与したことを、後で西郷は知ったのではないか。
西尾秋風先生の実行犯、中村半次郎は違うが、後の考えは正しいのではないでしょうか。
大久保が関与していたなら、実行犯の中に土佐藩士がいてもおかしくない。

結論
「実行犯」
「佐々木只三郎、今井信郎、桂隼之助、渡辺一郎、世良俊郎、渡辺吉太郎、土佐脱藩者数名」

人数は定かでないですが、9名説が正しいのではと思います。
このメンバーは京都見廻組、佐々木只三郎中心ですが、「最近目立ってきた竜馬を皆で斬ってやろうか。お偉らさん殺してと言っているし」といった若者の軽いのりで、混合されたメンバーだと思います。

「2階に上った犯人」
「桂隼之助、渡辺吉太郎、渡辺一郎、世良俊郎、土佐脱藩者1名」

世良俊郎が鞘を置いていった。
犯人は、名刺など渡さず、佐々木只三郎が一番先頭で突入し、藤吉を斬っている間に、次に突入した順に、「ほたえな!」と龍馬の声がした2階に次々と上がっていったのです。

「情報提供者」
「後藤象二郎、伊藤甲子太郎」

ユダさんの意見で、龍馬は後藤象二郎のことをよく思っていたとのことですが、後藤象二郎は龍馬のことはよく思っていなかったと思います。
何らかの情報の提供はしていると思います。
鞘が「新撰組副長助勤の原田左之助のものである」と証言した伊藤甲子太郎は、近藤勇が本来の尊皇の意志を捨て、幕府の犬に成り下がった事から新撰組から分裂という形で離反し、高台寺党を作り薩摩の庇護に入った人です。
龍馬の居場所を、教えたのは伊藤甲子太郎です。

「京都見廻組の発表を止めた人」
「手代木直右衛門」


「黒幕」
「大久保利通、桑名藩上士」

薩摩藩と桑名藩は、仲が悪いですが竜馬暗殺の時点ではそうでもなかったようです。何かの時に大久保と桑名藩上士が出会って、龍馬暗殺の意見があった。
大久保利通は伊藤甲子太郎に指示、桑名藩上士は佐々木只三郎に指示した。
しかし、この接点は証明できません。これを証明できると推理は完璧なのですが。

「致命傷を負わせた男」
「桂隼之助」

桂隼之助の物的証拠の刀が、一番有力だと思わざるを得ません。

「龍馬を斬った男」
「桂隼之助、渡辺一郎」


この結論は、個人的な推測であり、事実ではないかもしれません、日本史のミステリーはミステリーだから面白いのかも!?・・・・・・・・・・。

またいろいろ情報頂だいた方々、また長い間お付き合い頂だいた皆さんありがとう御座います