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(写真↑ 生家の背後にある蔵、壁面に三菱のスリーダイアのマーク)(写真右 表座敷に南面する小庭、石組は弥太郎が日本列島を形どって置いたものといわれている)


岩崎弥太郎は13代土佐藩主、山内豊照に秀才を認められ、21歳の時、彼は単身江戸へ遊学に出た。
江戸で勉学に励んでいた弥太郎ですが、江戸へ出てわずか1年、酒席での喧嘩がもとで投獄された父親の事を知り、高知に帰ってきた。
父親の免罪を訴えたことにより、弥太郎自身も投獄され、その後、村を追放された。
村を追放された弥太郎は、現在の高知市鴨田に住み、現在の高知市長浜で少林塾を開いていた吉田東洋のもとに入門し、才能を認められ弥太郎は土佐藩に登用されることになる。
長崎へ視察に行き、海外事情を学び、34歳の時、土佐藩の商社である土佐商会の長崎駐在員として長崎に赴任した。


ゆっくりとタバコを吹かしながら、老人の話は続いた。

1
回目の交渉の場所長崎銭座町の聖徳寺、紀州側よりは明光丸艦長・高柳楠之助をはじめとする乗り組み九名、海援隊・いろは丸隊長・坂本龍馬をはじめとする八名で行われた。
 
艦長・楠之助 「さて、互い航海日誌の記録を照らし合わせたところ貴艦いろは丸の操縦間違い、不注意による衝突であったことはあきらかと思われる。わが紀州藩としては藩主より特別のご好意をもって見舞金一千両、一万両の貸与をくだし置かれるものとする」
隊長・龍馬 「待たれよ。我がいろは丸は船価三万両、積み荷数万両、それを沈めた見舞金が一千両とはなんですか。それに一万両を「貸してやってもよい」とは・・・」
艦長・楠之助 「されど、貴艦には船上に国際規約に基づきたるマストランプの灯火なく、非はそちらにあり。当方には賠償の責これなく・・・」 
隊長・龍馬 「マストランプの無しとの証拠、いずれにありや」
艦長・楠之助 「当方航日誌によれば、衝突の際、貴艦船員に問いただせし所、いろは丸にはもとよりマストランプこれなく候との証言あり」   
隊長・龍馬 「おい、ランプがついてなかったち、言うた船員は誰じゃ?」
いろは丸・船員 「・・・さあ・・・・」 
隊長・龍馬 「その船員の名をお聞かせ願いたく」    
艦長・楠之助 「当艦の士官・前田、岡崎の両名その証言を聞きしが、不覚にも貴艦船員の姓名を聞く事を忘れたり、」
隊長・竜馬 「なんじゃーそれ!」全員ズッコケル 
                      
とにかくさすが葵の御紋、紀州藩は「悪くない」の一点ばり。相手が土佐藩でなく、どこの馬の骨ともしれぬ海援隊という烏合の衆と知ったので居丈高になって、結局1回目は平行線。

龍馬と海援隊は、トボトボと帰って行くのでありしまた。・・・・・・・・では又、明日。