本来の課題の「邪馬台国はどこにあったのか!」に戻りたいと思います。
その前に!
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いちろう May 10, 2009 18:24
昔、「邪馬台国=白山王国」説というのを読んで、すごくワクワクした覚えがあります。
なんたって、白山王国って、霊峰白山のお膝元、石川県にあったってことだからね~。

石川も候補にあったのですね!
このように色々な土地が候補に上がっていますが、やはり九州説と畿内説に絞りたいと思います。


697a17d9-s志賀島から地図のように4つの方向が考えられます。
島根や鳥取の方向や沖縄は、僕の常識的な感覚で却下、後は九州か畿内と言うことになります。
魏志倭人伝は当てにならないですが、距離と時間は同じでないと考えます。
水路は風や潮の流れで時間は違ってきますし、陸も平坦な所と山などで違うと思います。
12000
里も合っているし、志賀島から水行30日、陸行30日も正しいのではと考えると、鹿児島を大きく回ったのではないでしょうか!玄海灘は潮の関係で通れなかったのではないでしょうか!邪馬台国は、現在の九州の大分か、福岡辺りの険しい山を越えないと行けなかった山の中と考えます。佐賀も有力だと思います。
佐賀県の人は佐賀にあったと信じている人が多く、神崎駅前に卑弥呼の像があります。。

敵対していた狗奴国は、熊本か鹿児島よりの宮崎だったのではないでしょうか!

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Take May 14, 2009 00:24
その100年間で東還した、と僕は思っています。
同時に、政治の主流が呪術から武力に変化した100年ではなかったかと。

このtakeさんの考えは賛同します。

卑弥呼が亡くなった後、邪馬台国は男の王になり衰弱し、狗奴国に負けてに紀伊半島に追いやられたのではないかと思います。紀伊半島に移り台与が王女になり力を盛り返した。

結論
邪馬台国は、九州、紀伊半島どちらにもあった。
卑弥呼の時代は、九州、台与の時代は紀伊にあった。

少し乱暴な推理ですが、これでおわります