muse37ギザの大ピラミッドの中でも、もっとも小さいのが、カフラー王の息子メンカウラー王のピラミッドである。
高さ約66.5メートル(創建時は70メートル)、底辺約108.5メートル、勾配51度20分という規模のピラミッドだが、大きさだけでいえば祖父クフのものと比べればおよそ半分しかない。
小さな理由は、メンカウラー王がまれにみる人格者で、ピラミッド建造にともなう強制労働をどうしても是認できず、自分用のピラミッドそのものも規模を削減するか、廃止しようと考えていたと言われているが、事実はクフ王とカフラー王による空前の大事業によって、すでに国庫は底をつき、新たな大事業を行うだけの財政的な余裕がなくなったのだ。
メンカウラー王は別の方法で自分の姿と業績を残そうと考えた。
別の方法とは数多くの彫像を制作することであった。
二体像(ダイアド)または三体像(トライアド)と呼ばれる物で、ノモスの女神たちと自分とが並んだ像を作ることで、自分がエジプト全土を支配しているのだということをアピールしたのだ。
メンカウラー王の彫像は数多く発見されている。

img_5イギリス人ハワード・ヴァイスは、1837年にメンカウラー王のピラミッドの入口を発見した。
彼は通路を埋めていた土砂を取りのぞきながら50メートルほど進み前室の下にある玄室に入り、玄武岩でできた蓋なしの石棺の中には木製の人型棺が入っているのを発見した。
ヴァイス大は苦労して石棺と人型棺をピラミッドから引き出し、大英博物館に宛てて船便に乗せた。
人型棺を積んだ船は無事にロンドンに着いたのに、石棺を積んだ船はリボルノの港を出てからすぐに暴風雨に遭遇して沈没してしまったのである。
今でもその難破船は見つかっていない。
メンカウラー王のピラミッドの玄室からは、布に包まれた肋骨や大腿骨、背骨の一部が見つかった。これがまだメンカウラー王のものだという証拠はないが、ピラミッド中から遺体の出たのは、メンカウラー王のピラミッドだけである。
             
                          ギザの大ピラミッド    完


バビロンの空中庭園 Ⅰ