HN-018

「敵は本能寺にあり」。
その言葉を発し、かの織田信長を討ち果たした明智光秀。

実は、明智光秀は生きていたと言う説がある。





本当なのか!

これは、赤影歴史ミステリーハンターとしては、調べる必要があります。





何故、生きていたとされるかと言うと、陰陽道や風水に造詣が深く、徳川家康の側近として江戸の発展に関与した南光坊天海。

この二人が、実は同一人物であるという説が存在するのだ。





そう言えば、日光にバイクツーリング行った時、日光東照宮に明智の紋、桔梗紋があった。

「何故だろう!」と思った事を思い出した。

しかし、明智光秀は教科書では「信長死す」の報せを聞いて、豊臣秀吉は備中高松城を攻めていたが、世に言う「オウム返し」して山崎の戦いで追い詰めた。

そして、褒美欲しさの土民に討たれたということになっている。
先ずは、生きていた証拠、明智光秀と南光坊天海は同一人物の証拠。

次回、調べましょう!