今夜もボーと夜空を見ている。
宇宙に行けなかった時代に「地動説」を唱えた先人は偉いなー!
昨夜は星座の話を投稿しましたが、「天動説」と「地動説」の話をしたいと思います。


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世紀頃まではクラウディオス・プトレマイオスの天動説が主だったのですが、大航海時代が始まると、星の見え方から船の位置を知るという実用上の理由から、天文学が研究されるようになり、観測技術が進歩するにつれて、惑星の位置予測がずれるなどクラウディオス・プトレマイオスの天動説では説明できない多くなり、天動説に疑問をいだく学者も出てきたのです。

 

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先ず疑問をもった学者はニコラウス・コペルニクスです。

コペルニクスは、宇宙は数学的にもっと合理的な運動をしているのではないか、と考え、太陽を宇宙の中心におき、そのまわりを地球や惑星が回転しているという宇宙の姿を考えたのが、地動説です。

天体の運動を明快に説明するコペルニクスの地動説は、その後の天文学者に影響を与えていきます。デンマークのティコ・ブラーエは詳細な天体の位置観測を行ったことで有名な天文学者です。ブラーエは優れた視力の持ち主で、太陽や月、惑星の動きの詳細な観測記録を残しています。ブラーエの死後、助手であったドイツのヨハン・ケプラーがブラーエの残した多くの観測データを受けつぎ、地動説の基礎となる惑星の運動に関する「ケプラーの法則」を発見するのです。

 

一方、イタリアでは、ガリレオ・ガリレイが、望遠鏡を開発し天体観測を行い、1610年、木星のまわりを動く4つの衛星を発見します。この発見を皮切りに、ガリレオは金星の満ち欠けと大きさが変化して見えることなど天動説では説明できない現象を次々と発見したのです。
これにより、ガリレオは地動説を強く信じるようになるのですが、1300年にわたって支持されてきたプトレマイオスの宇宙に対するキリスト教や人々の信奉は根強く、地動説が広く受けられるにはかなりの時間がこれからも必要だったのです。