冬は、やはり香箱と酒、そして酒は宗玄!

天正五年(1577年)七月、上杉謙信が七尾城を攻め能登守護職畠山式部大輔義春を滅したとき、たまたま十三夜の月にまみえ、「霜は軍営に満ちて秋気清し」の七絶を詠じたこと は、史上あまりにも有名であるが、そのとき一族の畠山左衛門尉宗元は、若干にして刀剣一振と共に城を逃れ、珠洲郡松波城に入り、城主畠山義親の許で成長したが、のち同郡鵜島村地内 に田地二百石を贈られ、宗玄と改姓して一戸を構えたのが、現在の能登珠洲である。慶長九年(1604年)前田利長によって、十村の制度が布かれるや、間もなく十村役となり、のち次男に隣地を分けて分家させ、肝煎頭として十村役を補佐させた。 里人からは、宗玄両家と呼ばれ、永く繁栄したので、いつしか地名を宗玄と呼ぶようになった。

IMG_5071