kirishima

能登島の家の前にキリシマツツジを植えた。

正式の名は「能登峨山キリシマツツジ」

峨山とは、「峨山道」「峨山往来」とも称し、總持寺二祖峨山韶碩禅師が、輪島市門前町の總持寺と羽咋市酒井町にある永光寺の住職を兼ねていた暦応3年(1340年)から20余年間、往来した両寺を結ぶ13里(52km)の山道で、禅師は毎朝未明に永光寺の朝課を勤め、13里の険しい道を越えて、總持寺の朝の読経に間に合わせたと伝えられる。

この峨山道から峨山と名付けられた。

現在、能登の真ん中穴水町の上中、越渡、桂谷、 大角間の4集落で栽培された物を「 能登峨山キリシマと」呼ばれている。

調べても解らなかったが、この集落に近くに峨山道が通っているのだろう。

キリシマは、九州の霧島の事、江戸時代、京都、江戸と流れたらしい。

能登には、北前船で待ちこまれたようだが、何故能登に今も残されているかは、良く解らないらしい。

 

能登峨山 キリシマ」は、育ちが遅く 幹の直径が5cm100年の時間を要すようだ。

能登生まれの僕は、以前から能登ツツジは知っていたが凄く高価で諦めていたし、興味も無かったが、朝、新聞で「能登峨山 キリシマ」の展示販売が上中地区にあると知り出かけた。

穴水から山に入り八ヶ川ダムのサイドを抜けて、まだまだ山の中に入って行く「こんな処に人が住むのだろうか!」と思って進むと、道の両サイド、田畑のまわりに血の色をした花が無数に咲いている。これが「能登峨山キリシマツツジ」か!

花にお金などかけた事無かったが、30年物を購入した。