邪馬台国は、何処にあったのか! その2
志賀島から地図のように4つの方向が考えられます。
島根や鳥取の方向や沖縄は、僕の常識的な感覚で却下、後は九州か畿内と言うことになります。
魏志倭人伝は当てにならないですが、距離と時間は同じでないと考えます。
水路は風や潮の流れで時間は違ってきますし、陸も平坦な所と山などで違うと思います。
12000里も合っているし、志賀島から水行30日、陸行30日も正しいのではと考えると、鹿児島を大きく回ったのではないでしょうか!玄海灘は潮の関係で通れなかったのではないでしょうか!邪馬台国は、現在の九州の大分か、福岡辺りの険しい山を越えないと行けなかった山の中と考えます。佐賀も有力だと思います。
佐賀県の人は佐賀にあったと信じている人が多く、神崎駅前に卑弥呼の像があります。
敵対していた狗奴国は、熊本か鹿児島よりの宮崎だったのではないでしょうか!
卑弥呼が亡くなった後、邪馬台国は男の王になり衰弱し、狗奴国に負けて紀伊半島に追いやられたのではないかと思います。
紀伊半島に移り台与が王女になり力を盛り返した。
結論
邪馬台国は、九州、紀伊半島どちらにもあった。
卑弥呼の時代は、九州、台与の時代は紀伊にあった。