Giza_pyramid_complex_japanese_(map)_svgギザの三大ピラミッドは、クフ王のピラミッドから正しく南西方向に分布する、彼の次男カフラギザの三大ピラミッドは、クフ王のピラミッドから正しく南西方向に分布する、彼の次男カフラー王のピラミッドと孫メンカウラー王のピラミッドがある。
古代世界の七不思議の中で、現在唯一残されている建築物である。

人類の建築物の中でももっとも古い部類に属し、これだけ有名でありながら、いまだその目的すらわかっていない、太古の神秘そのものと言えるのがピラミッドだ。

クフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドの中で、もっとも大きいクフ王のピラミッドは高さ137m、底辺は一辺230mのほぼ正方形をなす。各面は正確に東西南北を指し、傾斜は51.5度にもなる。
このクフ王のピラミッドは、1889年にエッフェル塔が完成するまで世界でもっとも高い建築物であったようだ。これは約4,400年もの間、世界最高に君臨していたことになる。

ピラミッドはなぜ造られたのか? この論争はいまだ決着がついていない。
紀元前5世紀の史家ヘロドトスの『歴史』には王墓とあり、以来王の墓であるとする説が一般化した。ところが、三大ピラミッドではミイラは見つかっていない。
ルクソールの王家の谷のように、墓につきものの派手なヒエログリフもなければ壁画もない。
たしかにクフ王のピラミッドには「石棺」があるが、実際にそれが棺だという証拠はない。
古代エジプトでは棺は地下にあるもので、ピラミッドだけ例外というのも考えにくい。
盗掘されていたとしてもミイラは残るだろうし、棺の蓋がないのもおかしい。
だいたい王の間には盗掘者が到達できなかったこともわかっている。といってもクフ王やカフラー王、メンカウラー王の墓も見つかっておらず、王墓説も完全に消えたわけではないようだ。

幼いころ奴隷に鞭に打たせてピラミッドが造られた絵を見たことがあるが、事実は公共事業で失業対策だったようだ。
ピラミッドを造った労働者の街が発見されており、労働者には食事やワインが振る舞われ、労働者は率先してこの事業に取り組んでいたようだ。


ギザの三大ピラミッドⅡ