ロードス島のヘリオスの像は、実際はどの位の大きさだったのか!
ニューヨークの自由の女神像を始めて見た時、湾の向こうに見える女神像の大きさに感動したことを思い出す。
僕の住む石川の加賀温泉にも、子供を抱いている「慈母観音像」がある。写真←
加賀温泉駅から見える金色の観音像は圧巻だ。
この観音像の高さは73m、自由の女神像は高さ46.05m重さ225t、ロードス島の太陽神ヘリオスは像の高さ33m、大理石の台座を含めると50m重さ鉄7.5t、青銅12.5tである。
建造の指揮はリンドスのカレスに任され、巨像が完成したのは着工から12年後の紀元前284年であった。
56年後の紀元前228年にロードスで地震が発生、巨像は膝から折れて倒壊した。
プトレマイオス3世は再建のための資金提供を申し出たが、ロードスの住民は神に似せた彫像を作ったことが、神の怒りに触れと考え、再建を拒否した。
巨像は800年間にわたってそのまま放置されたのだ。
巨像の残骸はエデッサの商人に売却された。商人は彫像を破壊して青銅のスクラップにし、900頭のラクダの背に積んで持ち去り、ロードスの巨像は残骸すら消失したのだ。
こうしてロードス島の巨大像は伝説となり、人の心の中でもっと巨大化していくのだ。
港口をまたぐポーズをとっていたという伝説でもあるが、現在の研究では、港口をまたぐポーズは全長が大きくなりすぎ、耐久性も弱くなる為不可能だと考えられている。
ロードス島の巨大像 完
エフェソスのアルテミス神殿
ロードス島の巨像
エーゲ海に浮かぶロードス島に、右手には炎、左手には大剣を持った、太陽神ヘリオスの巨大な像があった。
あまりの大きさに誰もが度肝を抜かされたらしい。(本当かな!)
紀元前323年、アレクサンドロス3世が死亡。彼には後継者が存在しなかったため、マケドニア帝国は有力な将軍たちによって分裂し、戦争に突入した。
この戦争 でロードス島の人はエジプトを領するプトレマイオス1世に協力した。
プトレマイオスの対抗者であるアンティゴノス1世は、紀元前305年、息子のデメトリオ
スに40,000の軍を率いさせてロードス島へ派遣した。
城壁で囲まれたロードス島の防備は固く、デメトリオスは攻城塔を作って接近しようとした。
6隻の船に攻城塔を搭載して送り出したが、嵐のために接近できなかった。
デメトリオスは、ヘレポリス と名づけたさらに大型の攻城塔を建設し、これを陸上からロードス島へ送り込んだ。
しかし、城内から出撃したロードス島の守備隊が、城壁に到達する前にヘレポリスを阻止した。
紀元前304年、プトレマイオスの派遣した軍隊がロードス島に到着、デメトリオスは大いに慌て、急いで軍を引き揚げさせた。
あまりにも急な撤収だったため、多くの装備が置き去りにされていた。
ロードス島の人々はこの勝利を祝い、この残された装備を使い太陽神ヘリオスへの感謝の証として彫像が製作されたのだ。
はじめに
世界の七不思議をご存知ですか!
ビザンチウムのフィロンの書いた、「世界の七つの景観」の中で選ばれた、古代の地中海地方に存在していた7つの巨大建造物を指します。
古代エジプト,バビロニア,ギリシャは、今でも困難と思われる建築技術があったのは驚きです。
先ずは古代世界の七不思議の下記の建築物を紹介しましょう。
ギザの大ピラミッド
バビロンの空中庭園
ロードス島の巨像
オリンピアのゼウス像
エフェソスのアルテミス神殿
ハリカルナッソスのマウソロス霊廟
アレクサンドリアの大灯台
ギザの大ピラミッド
クフ王、カフラー王、メンカウラー王の3つがある。
古代世界の七不思議の中で、現在唯一残されている建築物である
バビロンの空中庭園
新バビロニア帝国の首都バビロンにあったとされる、立体型の庭園。砂漠の大庭園への水供給システムは未だに謎とされる。
ロードス島の巨像
地中海のロードス島にあったアポロ(ヘリオス)像。
オリンピアのゼウス像
古代オリンピックの開催地,オリンピア神域にあった守護神像。
エフェソスのアルテミス神殿
小アジアの貿易都市,エフェソスにあったアルテミス神殿。アテネのパルテノン神殿をも凌ぐ規模だった。
ハリカルナッソスのマウソロス霊廟
小アジアのカリア王国の領主マウソロス王、アルテミシア女王の墓。
アレクサンドリアの大灯台
エジプトのアレキサンドリアにあった大灯台。その巨大さで古代世界では有名で、ファロス(灯台)の語源になった。
では明日から!
ギザの三大ピラミッド Ⅰ